山海が抱き合う連雲港老街

 

老街は連雲港で最も古く、最も保存されている建物で、 1933年に孫文が大規模な東部の巨大港に建設を宣言し、それまでの小さな漁村から大きく変化・発展を遂げた。 現在の老街は当時とは違う面影であるが、その歴史と文化は保存されており、街の記憶は続いている。

連雲港旧鉄道駅

オランダ人デザイナーによって設計、建設された旧鉄道駅は、老街の最も象徴的な建物で、1935年に完成し使用されてきた。 

ヨーロッパでは、都市時計塔は一種特別な宗教的意味を持つと言われ、時間と金銭が象徴する商工業文明と繋がっている。

小さな漁村から発展し、現在は年間1000万トン以上の貨物取扱量を持つ陸海運の国際的ハブ港となり、時計塔は「大海へ踏み出す」連雲港の新しい象徴となった。 

また、現在ここには、緑色の旧式列車が展示されており、汽笛が再び鳴ることは無いが、若い人たちの人気の撮影スポットとなっている。

果城里建築群

旧鉄道駅からそれほど遠くない場所にある、古民家の住居群。——果城里建築群。 連雲港は海に近い為、古くからの多く住居は石造りとなっており、当時の人々は大小大きさの違う石を使い家を作りあげた。 果城里の建造は、初期の建港と密接な関係にあり、当時の政府はここに3000平米のエリアに中国と西洋の様式を融合させた建築群が、オランダの建築家や、経済学者、銀行化、上級技術者や職員が生活する為につくられた。

斑模様の痕がついた外壁は、その美観に影響を与える事はなく、中庭があり、絶妙な配置と工芸的な工夫が施されている。

窓には、江南建築のテイストがあり、立柱には西洋的格調があり、すげて1920、30年代の民国建築物の傑作である。

直近の100年間の間、様々な国籍や身分を持った人達がここに住んでいたが、世間的に注目される事は無く、2009年の中国文化物調査によって発見され、当時の10大新発見の一つに列挙され、何故“果城里”と呼ばれるのか? 誰が建てたのか? どんな人が住んでいたのか?と本格的な調査が行われ、その神秘的なベースがゆっくりと知られるようになった。

花開く暖かい春の季節、連雲港の老街へ足を伸ばし、老街の歴史風情を味わってみよう。