千年の時間を探り、江蘇古鎮の旅

江蘇の美しい景色はとても多いが、精髄は墨の香りに満ちた「古鎮(古い町並み)」である。江蘇の古鎮はとても美しく、まるで古籍の中から出てきた謙虚な君子と名家の令嬢のようである。江蘇の古鎮はとても多く、山に寄り添ったり、川に臨んだりしている。よく知られている周荘、同里などの古鎮のほかにも、知られていないが数千年前の古鎮が多く残っている。これらのもとの雰囲気を維持している古鎮の保存はまさに江蘇の魅力と江蘇人の偉大さである。

江蘇古鎮を観光すると、江蘇の悠久の歴史と文化、またその伝承を感じるだけではなく、異なるところの風土と人情、及び異なる生活雰囲気を味わうことができる。

窯湾古鎮

窯湾古鎮は江蘇省徐州市に属する新沂市の南西端、京杭大運河と駱馬湖の合流地点に位置し、三方を川に囲まれており、「蘇北小上海」と称される千年の歴史を持つ水郷古鎮である。古鎮は大きくないので、二時間ぐらいかけて町の観光スポットを一々歩き回ることができる。この古鎮の千年の時間を探るには、呉家大院、窯湾民俗史話館、趙信隆醤園店は行かなくてはいけない。

呉家大院は清朝の康熙年間(1671年)に建てられ、古鎮の中で最も完全に保存されている邸宅である。大家族の邸宅として、呉家大院は三百年あまりの世の移り変わりを経たが、相変わらず立派である。四進の中庭、中国南部沿海地域の建築様式、明代様式のレンガ造りと木構造、分厚い塀の土台、高低差を活かした庭などは、いずれも昔の「呉半街(街の半分を占める)」の風采を現している。

窯湾民俗史話館は流水玉珠、昌埠華街、夜猫子集、芳華民生という4つの部分に分かれており、窯湾の歴史的起源と発展、窯湾埠頭の経済の繁栄と隆盛、窯湾の伝統の朝市の盛況及び窯湾の民間習俗と民俗の特色をそれぞれ紹介した。展示館全体は芸術と現代科学技術を合わせる表現形式を通じ、全方位、多角的に窯湾古鎮の千年も積み重ねた民俗文化と市井の風情を表現している。

甜油と味それぞれの「醤」は窯湾の二大特色の調味料である。甜油は醤油と類似しているが、醤油とは全く別の調味料であり、醤油より更に味を引き立て、後味がすこし甘い。中国人は醤を食べる歴史は非常に悠久で、「醤」も中国人が発酵技術を極めた表れである。窯湾の醤、甜油製品は清の乾隆帝の時期からずっと御膳房の上等な調味料としている。窯湾の趙信隆醤園店の中で今なお伝統的な手芸を採用して甜油を製造している。また、趙信隆醤園店も古鎮の「前店後坊(前は店舗、後ろは作業場)」レイアウトの代表の一つであり、作業場には笠をかぶった甜油を干した大きな甕がいっぱいあり、常に観光客を引きつけてここで写真を撮っている。

 

恵山古鎮

恵山古鎮の町をそぞろ歩いていると、千年の時間が足元にあるようで、その中に浸り、心地がいいと同時に、最も人を驚嘆させるのは古風で優雅な古鎮の祠堂群の建築である。

無錫の中心市街地からわずか2キロ離れ、恵山の北東麓に位置する古鎮は、文物古跡が集まり、名所は数百カ所に達し、無錫の「露天歴史博物館」と称される。古鎮に唐宋から明清にかけての118の祠堂建築と祠堂園林が現存している。数が多く、種類が揃って、年代が幅広く、密度が高いという特徴は世界でも独特で、中華祠堂文化の「生きている化石」である。ここの祠堂の有名人は多く、例えば北宋の著名な史学家司馬光、文学者範仲淹と清朝末期の名臣李鴻章などは中国史上の大物である。これらの祠堂は外観から見ると基本的には白いレンガ、黒い瓦、飛檐、組物の中華様式の建築を主としているが、例外がある。龍頭河畔の水街のすぐそばにこのような古い祠堂の建築があり、典型的な中西折衷の建築スタイルで、恵山古鎮の唯一の西洋建築の古い祠堂であり、この祠堂は「楊藕芳祠」である。建物の壁全体が灰白色で、アーチ型の組物のある欧風の扉と窓の設計を採用し、周辺の白い壁と灰色の瓦と一緒にするのは少しつり合わないように見えるが、端正で上品で、人に「変わっている」美感を与える。恵山古鎮に行くチャンスがあれば、ぜひ楊藕芳祠に来てみてください。でないと、残念なことになる!

古い祠堂群の中を通り抜けると、まるで茫漠たる歴史の中を歩いているようである。恵山古鎮はその独特かつ唯一の祠堂文化をもって、人々に無錫の伝統文化の面で世界に直面する美しい名刺と見なされ、無錫人の血筋と人文を示している。