山と愛、鎮江の愛の聖地を訪ねて

中国では良くに強い愛を山に例え、永遠の愛を山のように堅固だという表現を使う。鎮江には、高い山が無いのだが、有名な三つの山があり多くの観光資源が集中している。中国で有名な四大ラブストーリーの内、三つが鎮江で誕生、また、董永と七仙女、南朝の「華山畿」、三国時代の劉備と孫尚香、許仙と白娘子……これら物語は镇江に美しい愛情の烙印を残した。

鎮江は、江蘇省の南部に位置し、京杭大運河と長江はここで合流しており、独特の風景を作り上げている。この大きくは無い古い街は、歳月の移り変わりを経て豊かで美しい愛情物語を生み出した。

金山・白蛇伝

金山は元々長江の中にある小さな島で、「江心一輪芙蓉」(江に咲く一輪の芙蓉)という美称を持っている。金山寺を訪れた人々はお参り以外に、必ず高台に上り水天一碧の美しい眺めを楽しむ。他の見所は慈寿塔や、金山の山頂にある留雲亭があり、江天一覧亭という別名を持つ。ここには清の康熙帝によって書かれた「江天一覧」の文字を石碑にして置かれている。慈寿塔の北西には「法海洞」と呼ばれる天然岩洞があり、これは歴史に記録されている金山寺の開祖——法海の苦修地である。面白いことに、この徳が高く人望高い高僧は『白蛇伝』の中では、頑固一徹な悪者役とされている。

一般的に語られる「白蛇伝」の結末は白娘子が法海よって雷峰塔の下に封印されるのだが、鎮江では別の素晴らしい結末も残されている。物語の主人公は千八百年修行した白蛇で、彼女は人間の生活に憧れ、権力を恐れず、心に従い愛を追求する。法海が白娘子の婚姻を引き裂こうと意図した時も、彼女は命の危険を恐れず、東海に津波を起こし、「水漫金山」(大洪水)となった。「白蛇伝」中にある五条街は今も完璧に残っており、“保和堂”薬局もすでに修復されている。許仙と白娘子の愛情物語は、今でも色褪せず人に感動を与えている。

北固山・劉備甘露寺招親

北固山は鎮江の名所「三山」の一つで、金山と焦山の間に位置する。この山は『三国志演義』に関する沢山の遺跡が残されており、中でも最も有名なのが甘露寺である。ここは劉備と孫尚香の出会った場所である。『三国志演義』の物語は主に英雄と戦争に書かれており、愛情物語は含まれていないだが、劉備と孫権との戦いには「孫劉連盟」という愛情物語が外せない。赤壁の戦い後、直ちに荊州を領有した劉備に、孫権はその返還を求めたが、劉備はこれを拒否する。すると孫権は、周瑜策の「美人計」、すなわち孫権の妹である尚香との結婚を餌に、劉備を京口(今の鎮江)におびき寄せ、劉備を人質とし、荊州の返還を求める。劉備軍の軍師である諸葛孔明は、それが謀略と知っていながらその手に乗ることを進言し、「孫劉連盟」は成立し、呉は「美女と、兵はを失う」ことになった。

甘露寺の後ろには多景楼があり、別名を「北固楼」と言う。ここから見える景色がとても素晴らしく、眼下に長江の波濤が逆巻き、西には金山、東に焦山を見ることができる。多景楼の東部には祭江亭があり、当時、孫尚香は劉備が亡くなったことを聞き、悲痛と絶望から、ここ場所から長江に入って自殺したと言われている。

華山・「梁祝」の原話

千百年来、『梁山伯と祝英台』の凄美な物語は、音楽、映画、演劇などの様々な形で改編され、世界的に広く影響を及ぼしている。「化蝶」に感動しない人は居ないが、この東方の「ロミオとジュリエット」物語より、更に人を感動させる原話があることを知っている人は少ない。南朝に鎮江楽府名歌「華山畿」は、ある小生が華山で女性に恋するのだが、家族の阻止で一緒になることは叶わず。恋慕が募り健康を害し命を落とす。それを知った女性は恋人が亡くなったことを嘆き、悲しみのあまり一緒の棺に入り、共に死を選んだ。

華山一帯には、美しい自然環境が多く、歴史・文化が濃厚に残っている。「華山畿」も江蘇の最も早い無形文化遺産であり、有名な愛情物語「梁山伯と祝英台」の原話でもある。

鎮江では愛情について語る時、必ずこれらの山と物語のロマンチックな組み合わせを連想する。自然と愛情との組み合わせが、私達にこの都市を再認識させてくれる。