塩の城

塩城は中国東部の沿海地区に位置し、中国春秋戦国時代から、ここの人々は「海を煮て塩とする」と言われる塩作りを初めており、その後長い発展の歴史を経て塩城という名前で呼ばれる事となった。

食塩は国家運営にとっても非常に重要な資源の一つであり、昔から人々の日常生活には欠かせないものであった。また、塩業は塩城の経済発展にも大きな役割を担っており、塩城にある十大塩場はこの都市の繁盛体現してきた。

塩城では塩業が絶える事なく続けられ、その長い歴史の中で豊かな海塩文化が育まれ、塩城人と海塩の親密な関係性を作り上げた。

串場河景観帯

中国の各時代の統治者達は治水に尽力を注いできた。灌漑農業の拡大と、運河を使った交通の利便性を高め商業の発展を推し進めた。

塩城の串場河は築堤から始まり、塩業の発展とともに、都市を貫く母なる河へと発展し、現在では塩の歴史と文化をその中に溶け込ませた串場河と呼ばれるようになり、現在では観光名所の一つとなっている。
他にも「塩字広場」、「煮海祭宗」、「八卦塩田」など七大観光スポットがあり、芸術的表現で串場河畔の海塩文化の歴史を表現した展示物などがあり、

「親水・スローライフ」、「余暇・ハッピーライフ」、「意趣・ニューシティ」と三つのゾーンがあり、それぞれに塩城の都市の記憶が表現されている。

新鮮な海風を吸い込み、海塩文化をゆっくり感じたり、お茶や食事の後に串場河畔を散歩して、地元のお年寄りが楽しそうにおしゃべりしている様を眺めたり、とても楽しい体験があなたを待っている。

中国海塩博物館

水流が塩を運び、物語を生み出し、深い文化を蓄積していった。塩場の物語と塩文化は口承だけではなく、一つ一つが中国海塩博物館の所蔵されている。博物館はその都市の魂と言われるように、塩城の「前世今生」を知るには、博物館を訪れてみるのが一番直接的な方法である。

中国海塩博物館は人工の運塩河(塩を運輸する河のこと)と---串場河と宋代(960年~1279年)の有名な堤防---範公堤の間に位置し、中国で唯一の海塩歴史を紹介する大規模な博物館である。外観は銀白色で正六面の塩結晶の紋様がデザインされており、まるで塩の結晶が串場河に散りばめられたように見え、海塩の「結晶美」を十分に演出している。館内には海船の模型があり、船に乗って中国海塩文化の歴史の流れを体験する事が出来る。他に「生命のパートナー」、「史海塩踪」、「煮海の歌」と「塩と塩城」などのテーマで、日常生活や工業と塩の関係、塩業発展の歴史、沿海の塩民の製塩方法と生活文化を一つ一つを展示している。

海塩博物館では、人形や、彫刻、 砂盤などの生き生きとした豊かな展示方法で海塩生産と塩民生活の文化を表現しており、海塩に纏わる数々の伝説などを見ることが出来る。

塩鎮水街

どの都市にもその都市の特色や趣の物語が、レンガや瓦にたっぷり詰まったような街があり、塩城の風情は塩鎮水街に詰め込まれている。ここは静かで喧騒とは無縁の場所で、一枚の落ち葉、星ひとつ、一筋の陽光、戯曲の一節に、生命の美しさを宿している。

塩鎮水街は、名前の通り塩が生み出した小鎮で、水辺に作られた街である。 ここでは遊覧船に乗って、薄霧漂う抜群の雰囲気の中で青磚黛瓦、亭台樓閣の2つの美しい建築物を鑑賞し、ゆっくりと「漂舟戯苑」「老周茶社」、「翰墨閣」、「水雲閣」を通って、塩商屋敷---大宅門へ着く。

このルートは歩く事も可能で、観光コースに沿って、商店街を周りながら、淮劇を聞いて、茶屋で春の新茶を飲んで、小雨の中で塩城の水郷風情と海塩の歴史文化の面影を身近に感じでる事が出来る。

塩城は塩によって作られ、塩によって名声を高め、塩によって繁栄した、海塩文化の源であり、中国海塩発展史の縮図である。長い塩との歴史が染み込んだ、この都市は味がしっかりと染み込んでいる。