穴場展示館をチェック、生活の美を発見

都市を知りたいなら、その博物館を知ることから始まると言われている。南通が博物館の町と呼ばれるのは、中国初の公共博物館が開館したからだけでなく、大小20以上の博物館もあり、集まって濠河博物館群まで形成したからでもある。ただし、今回の観光情報は、南通伝統的な文化博物施設を紹介するつもりがなく、穴場の展示館から南通の芸術気質と生活知恵を見つけたい。

南通美術館

今年の夏に完成・開館した南通美術館は、芸術の花のように紫琅湖畔に綻びて、南通大劇場と互いに照り映えて、お互いの美しさを増した。世界的な建築設計家ポール・アンドリュー氏が心を込めて作り上げたこの芸術感たっぷりの建築の外観は、想像力を掻き立てる魔法の箱のようである。外側から見ると、個々の芸術空間は、開いたか開いていない引き出しのようで、人々の探索を待っている。

美術館は4階建てで、21の専門展示室が国内外一流の芸術展の展示ニーズに対応できるため、中国と西洋の芸術の饗宴をワンストップで楽しむことができる。インテリアはシンプルで、グレーとホワイトの装飾スタイルとなって、ガラスの屋根とカーテンウォールから太陽の光が降り注ぎ、室内はそれで明るく透き通っている。訪れる時間によって異なる光源に出会うため、異なる雰囲気が感じられる。

個簃芸術館

王個簃は中国現代の有名な書画篆刻家、芸術教育家であり、絵画、書道、篆刻、詩の分野で高い成果があり、芸術大家呉昌碩の伝承者である。彼は、日本を3回訪れて、学術講演や絵画展などの活動を行い、中国と日本の文化交流を促進した。日本有名な書道篆刻家梅舒適は、呉昌碩を中心とした近代中国篆刻芸術の学習と研究に取り組み、中国で学習交流したとき、王個簃と知り合いになって、そして数年後、「通州文峰は名を馳せ、個簃芸術は天下に伝わる」の対聯を芸術館に贈った。

個簃芸術館は南通文峰塔の隣にある2階建ての擬古建築で、緑豊かな木々に囲まれ、庭にある400年以上のイヌマキが青々と茂り、まっすぐに聳え立ち、文峰塔とお互いに引き立て合って趣をなしている。その中を歩くと、古典庭園の雰囲気が感じられる。館内には『個簃画集』、『個簃印譜』、『王個簃霜茶閣詩集』などを含む王個簃の芸術作品が1000件以上所蔵されている。それ以外に、書画コンクール、芸術展、書画展、写真展などもたまたま行われる。この小さい庭に足を踏み入れて、この芸術家の書画の世界をさまようと、彼の勇壮な感情と偉大な志が感じ取られ、彼の郷愁憂慮が体得できる。

南通風筝博物館

もともと凧は信号を伝えるために使われていた。最初の凧は竹の骨組みしかなく、隋唐の時代から凧に紙を張るようになったため、「紙鳶」と呼ばれるようなった。都市文化経済が発展する中、凧は民間の手工業の発展に応えただけでなく、徐々に多くの家にも入った。文人墨客までも凧が好きで、文学作品の創作によく使った。

13世紀に、マルコポーロが凧を中国からヨーロッパに持ち帰ったという説もあれば、10世紀に凧が中国から日本と韓国に、さらにヨーロッパに伝わったという説もある。これらの説はもはや考証できないかもしれないが、南通風筝博物館の、「重厚な凧文化」、「巨大な凧の貢献」、「素晴らしい凧の世界」、「独特の南通板鷂」の4つの展示室では、凧のこれまでの歩みを理解し、「空中の交響曲」--南通板鷂の素敵さを楽しむことができる。あるいは、旅の最後に、凧の制作に参加して、想像力を働かせ、自らの手で竹と紙を組み合わせて個人的な性格を持つ凧を作ることもできる。

13世紀に、マルコポーロが凧を中国からヨーロッパに持ち帰ったという説もあれば、10世紀に凧が中国から日本と韓国に、さらにヨーロッパに伝わったという説もある。これらの説はもはや考証できないかもしれないが、南通風筝博物館の、「重厚な凧文化」、「巨大な凧の貢献」、「素晴らしい凧の世界」、「独特の南通板鷂」の4つの展示室では、凧のこれまでの歩みを理解し、「空中の交響曲」--南通板鷂の素敵さを楽しむことができる。あるいは、旅の最後に、凧の制作に参加して、想像力を働かせ、自らの手で竹と紙を組み合わせて個人的な性格を持つ凧を作ることもできる。

それを家に持ち帰って、晴れた日に凧を揚げると、自由への渇望、夢への追及、未来への憧れがずべて風に乗って舞い上がっていく。