鎮江:東アジアの文化遺産を探索し、文明融合の縁を辿る

鎮江、長江と運河の黄金十字水道の交差点に位置し、南北の要所を占め、山水に恵まれ、古来より北から南へ行ったり来たりする必ず経由する地である。歴史上、マルコポーロ、雪舟等楊、阿倍仲麻呂など国内外の有名人も鎮江に停泊するか上陸し、多くの詩や美談を残している。鎮江を散策すると、名所旧迹を見物しながら、文化融合の痕跡を発見できる。

本文:

六朝文化、山水文化、宗教文化、運河文化からなる独特な地域文化を持つ鎮江は、歴史上、その文化的張力によって、日本や韓国などの国々から多くの学者や僧侶が集まっており、日本や韓国など東アジア各国との交流も長く続いている。このたび、鎮江の景勝地で東アジアの文化の印を探り、歴史の奥からの文化の共鳴に耳を傾けてみよう。

北固山

三国時代に関する歴史や小説は、日本や韓国など東アジア文化圏に深い影響を及ぼしている。鎮江の北固山は、三国時代の物語で名を馳せている。山上の東屋や楼閣、石と小川などは、いずれも三国時代の孫権と劉備の縁組みなど歴史的な伝説にまつわるもので、三国時代の遺跡を探る観光客にとって憧れの地となっている。

北固山は広々とした長江を臨み、その「険しさ」で有名である。山の中には、甘露寺、北固楼、北固亭などの遺跡があるほか、日本からの遣唐使阿倍仲麻呂の「望月望郷(月を望みて郷を望む)」という詩を中国語と日本語で刻んだ特別な石碑がある。資料によると、753年、阿倍仲麻呂は遣唐使として任命され、鑑真和上や日本の使者とともに中国へ向かう途中、揚子江のほとりに停泊した際に、白く照り映える月を見て故郷を思ってこの詩を詠んだということである。後に日本にでも広く伝わっている。また、日本の書学家小泉秀観の良寛詩碑や、日本有名な書画家橋本心泉の石碑もあり、中日の深い友情の印となっている。

焦山(焦山碑刻博物館)

鎮江の焦山は昔から書道の山として知られ、その西麓の岩壁には歴代の文人墨客による大量の詩文と石刻が残っている。中でも六朝時代の石刻である「瘗鶴銘」は、歴代の書道家に敬慕と尊敬を受け、「書家の冠」と呼ばれ、東アジア諸国で高い評価を得ている。江戸時代、日本の書道家良寛は「瘗鶴銘」を真似てやがて立派な書道家となったのである。焦山碑林と小川を挟んだ花洲には、「含翰可臨鶴瘗鶴銘、擁乞平嘆老朽見」と刻まれている良寛亭があり、異国の老年書道家が「瘗鶴銘」への執念が垣間見える。「大字の祖」の風采を見学するために、日本や韓国の多くの書道愛好家がここに訪れているのである。

焦山にある焦山碑刻博物館は、正、草、隷、篆など各書体を豊富に収蔵し、東アジア諸国から高い評価を受けている。現在、鎮江で開催された国際書道交流大会により、焦山は東アジア書道交流の拠点となった。日本の三重県津市は鎮江市初の国際友好都市となり、両市は焦山で友誼の木をともに植え、破体碑亭をともに建設し、両市の友好関係が永遠に変わらないという意味である。

南山風景景勝地

緑の山々が連なり、青々とした木々に覆われ、竹林や泉、小川、果てしなく続く草や木々、明るくて麗しい。南山風景景勝地は歴代の文人たちの心を惹きつけてきた。南山に足を踏み入れると、古代中国人の情趣を訪ね、鹿の鳴き声や泉の流れる音に耳を傾けながら、当時昭明太子が賢人を広く招いて書籍を編纂した光景、音楽家の戴顒が招隠寺に隠居して作った千古の絶唱、書画家米芾が溌僕して描いた煙雨の南山という素晴らしい絵巻に思いを馳せることができるのである。

昭明太子読書台に上ると、日本の漢文学者である岡村繁の書いた扁額が目に入る。岡村繁は、中日両国の学界で認められた現代日本の古典中国文学者であり、中国清朝の乾嘉学者の気風に深く影響を受け、しっかりとした漢学知識を持っている。学術セミナーで何度も中国を訪れ、中国の漢文学者と深い友好関係を築いている。2002年の重陽の節句に、岡村繁は南山でこの扁額を書いて、中日両国の漢文化交流の素晴らしい証となっている。

鎮江大韓民国臨時政府史料陳列館

鎮江大西路の旧市街において、細い弄堂を抜け、小楊家門34号穆源学校旧跡に到着すると、右手に少し離れたところに「鎮江時期大韓民国臨時政府活動基地遺跡」という石碑がある。1935年11月から1937年11月まで、大韓民国臨時政府は鎮江で独立運動を進め、その間、穆源小学校の校長、愛国組織のリーダーである楊公崖と深い友情を結び、一時は穆源小学校で独立計画について議論していたという塵にまみれた歴史の一部を、この碑によって蘇らせたのである。

2012年8月、この難儀を共にした特別な友情を記念するため、大韓民国臨時政府史料陳列館が開設された。館内に入ると、鎮江の愛国者と韓国臨時政府との真摯な協力関係を再現した様々な資料が展示され、中国と韓国が同じ舟で川を渡る懇切な心情を感じられる。

唐代に始まった文化交流であろうが、現在の政府間の協力、詩歌や書画の文化交流、機関や組織間の訪問交流であろうが、鎮江は常に東アジア文化の共生と融合を推進する上で重要な役割を担っている。2023年の「東アジア文化都市」の候補都市として、鎮江は悠久たる文化的薀蓄と開放的な姿勢を通して、その素晴らしさを世界に発信している。