水路が交錯する運河古城――蘇州

大運河が流れる江蘇省内最後の都市、蘇州。蘇州は、中国江南地区の文化的な中心である。呉文化はここに根付き、発達してきて、2000年以上の人文・歴史を輝かせる。運河は中国の南・北部を結び、蘇州をも繫栄させた。運河によって作り出された水路網の交錯する古城構造、運河によって形成された生活様式は数千年に亙っても変わっていない。

千年の見守り

蘇州碑刻博物館に、一枚の南宋時代の石碑が収蔵されている。高さ2.84m、幅1.46m、厚さ0.3mの石碑には、平江府(蘇州の旧名)の都市地図が刻まれてある。この平江図は中国現存する最も大きな碑刻地図であり、家屋、道路、橋梁や水路がはっきりと見える。

この地図は宋時代の蘇州を表すものだが、春秋時代伍子胥が蘇州城を建てる時はすでにこの姿になっていた。また千年が経ち、もう一度平江図を見ると、なんと今の蘇州古城と宋時代のあれとはほとんど変わらないものである。二千年余りに、蘇州は昔の姿を保ち、都市構造が全然変わらなかった。水路と陸路が並行し、川と街が隣り合い、また水路と道路は夫々に縦横に交錯していて二枚の碁盤のようになっている。運河水は蘇州古城千年来の姿を見守り、また古城も河水が涸れないように守っている。城内は古風なままだが、城外は絶えずに革新・開発が行われていて、古今の魅力はこの一つの町で迸る。蘇州の運河往事は、今後も伝承され、語られる。

人家尽枕河

伍子胥が蘇州城を建てて以来、城内に水路が縦横に流れ、漁船が星のように点在し、地元の人はもう水上生活に慣れている。唐代詩人杜荀鶴の詩句「君到姑蘇見、人家尽枕河(君が姑蘇に来て見ると、人家は皆河を枕にしている)」は如実に蘇州古城の風貌を描いている。運河水が城内に流れてくると、忽ち分散して格子状の水路網になり、家々は水に臨んで建てられる。玄関前は道路で、家の後ろは水である。朝起きると、人々は階段を下りて、河水で洗濯をする。商船が行き来し始めたら、その場で商品を買う。暇な時に、窓を開けて水を隔てながら向こうの住民と雑談でもしたら、隣人同士の仲が自然に深まる。

平江路は現在蘇州において水城景観が最も完璧に保たれている歴史・文化街である。石畳の道路の両側に、ピンク色の壁と青い瓦の民家はずらりと並んでいる。その大半は、既にバー、カフェや創意店舗、民宿に華麗に転身した。ここでは、蘇州ならではのお菓子を味わえるし、船に乗って昔蘇州人の交通方法を体験することもできる。また、伏羲琴館、礼耕堂や昆曲博物館等で蘇州風情の溢れる昆曲と評弾演出をも楽しめる。

河畔蘇州の味

水に育てられた蘇州は、生活に対して究極な境界を絶えずに求めている。一日三食、四季の料理、蘇州人は絶対にどんな味をも疎かにしない。全ての料理には一つの理念が貫かれている。即ち、旬のものでないと食べない。一つ一つの季節に、それに相応しいものを食べないといけない。春になると、万物が蘇って、野菜や山菜を味わう季節である。夏には、魚類が回遊して、一番脂がのって美味しい。秋は収穫の季節で、上海ガニの肉付きがよくカニミソが多い。桂花も各種のお菓子に使われるようになる。冬には、皆が寒さを凌ぐために温かいものを求めるから、ホカホカと熱い蔵書羊肉と醤方が丁度いい。

運河人家の美食は時間の流れに埋滅されなかった。後世の人はそれを画舫に載せ、更に精緻な料理にした。「遊船臻膳」では、画舫に乗って古運河を廻り、悠長な評弾を聞きながら、クワイや琥珀胡桃等のおやつから、蟹殻黄、鶏頭米、焼き小籠包、銀魚春巻、棗のこしあんのラーカオ(拉糕)、縐紗雲吞まで食べることができる。このような精緻な料理で、蘇州の運河の味を存分に味わえる。

蘇州の西側にある太湖は、何時も優れたものを提供してくれる。白魚、銀魚、白蝦等ありとあらゆるの水産物が生産される。運河人家と同じように、湖畔の漁民人家も自分なりの美食を有する。太湖が蘇州、無錫、常州の三都市を結んでいて、湖畔の漁民達は採りたてのを食べる習慣があり、共に太湖船上料理を作り出した。芙蓉銀魚、銀魚唐揚げ、銀魚酒漬け、エビの炒め煮、エビの煮物、ムキエビの炒め、銀魚野菜スープ…これらの料理からなる水上宴席は、江南の水郷風情を更に多彩にしている。