2025-07-15
愚園
愚園は、清の光緒年間に候補知府となった、および徐州近代石炭鉱業の創始者の胡恩燮(こ おんしょう)が、明代の西園跡に再建した私邸庭園であり、南京に現存する数少ない私家園林のひとつである。晩清の重鎮であった李鴻章・曾国荃・張之洞など多くの文人・名士がこの園を訪れた記録が残っており、また、孫文も臨時大総統を辞任する直前、この地で友人とともに『建国方略』について語り合ったと伝えられている。現在も「二院・三進・二路」の煉瓦と木造による建築群が残されており、園林部分は近年に復元されたものである。
禹王廟
禹王廟は、太湖地域では珍しい大禹を祀る祠廟建築である。伝承によれば、大禹はかつて太湖において治水事業を行ったとされ、後の人々はその功績を偲んで4つの禹王廟を建立したが、現存するのはこの廟のみである。現在残っている建物は、清代嘉慶年間に再建された享殿で、単層の歇山式屋根を持ち、梁や柱には楠木が使用されている。殿前には、明代に作られたとされる「双龍戯珠(そうりゅうぎしゅ)」の浮彫が施された青石の陛石が一枚残されている。
廟の前にある石造りの船着場は、鄭泾港と太湖の合流点に位置しており、これも明代の遺構と伝えられている。
海州鐘鼓台
海州鐘鼓台は、明・清時代の海州城を代表する象徴的な遺構である。史料によると、この場所はもともと唐代海州城の西門にあたり、その後、城郭の西側拡張に伴い城内に取り込まれた。明代には、海州知州の王同によって旧城門の基礎の上に「鎮遠楼」が築かれ、鐘と鼓が設置されたが、のちに郯城大地震によって倒壊した。その後、戦乱を経て建物は失われ、20世紀半ばには台座の一部と門洞だけが辛うじて残されていた。1990年代に入り、海州区当局は鐘鼓台の基礎部分を修復し、その上にかつての鎮遠楼を再建した。
鎮江一等郵便局旧跡
鎮江における近代郵政の始まりは、清の同治5年(1866年)、鎮江海関に設置された郵便業務取扱所に遡る。光緒15年(1889年)、清政府が正式に国営郵便制度を創設すると、同年、鎮江にも「大清郵局」が設立され、全国で最も早く設置された24の総局のひとつとなった。その後、1914年には「一等郵便局」に格上げされ、1924年には京畿路の新庁舎に移転した。この建物は1980年代まで実際に使用され、中国における郵政事業の発展と変遷を物語る歴史的証人となっている。