古い町並みは昔のことを訴え、塩城の海塩の記憶

前書き:

江蘇省塩城は、古名を「塩瀆」といい、東晋時代に塩城と改名された。塩城の臨海の地理的位置はその独特な都市の気質を形作り、また燦爛たる海塩文明を生み出し、この土地に無数の貴重な歴史的遺構を残した。

本文:

千年余りの変遷を経て、現在の塩城は「城」の味がますます濃くなり、「塩味」は薄くなっている。しかし、海塩文化は受け継がれ、塩のために興った古い町並みが新しい姿で世人の目の前に現れ、新しい活力を放っている。

勝地に入るように/西渓古鎮

古代の西渓は塩の水運と商売の中心地で、千百年来、古塩運河の畔で東台の海塩文化の誕生と発展を目撃してきた。西渓古鎮はまさに繁華な古代の塩鎮の再現である。今の西渓の土地の上で、三相祠、泰山仏寺、海春軒塔は依然として立派で、また何分の風雅と趣を加えた。

気迫が漲っている宋代の趣のある古代都市を散歩して、反り返った軒、高くそびえ立っている建物、城壁と古道の間に歴史は確実に感じられる。西渓書院に行くと、朗々とした読書の声はないが、晏公の講義はまだ耳に残っているようである。梨木古街は水に面して立っていて、橋の下に水が流れている光景もあれば、青レンガの旧宅が互いに引き立て合って風情を添える。ゆっくりと歩き、晨鐘暮鼓の古い泰山寺を近づけると僧侶が経文を唱える声が禅味深い。振り返って董永七仙女文化園に足を踏み入れると、千年にわたる愛の物語がしみじみと心を打つ。草市街のグルメは、遊子の心の中の郷愁あふれる故郷の味である。

旧市街の記憶/安豊古鎮

安豊古鎮の歴史は1200年前までさかのぼることができ、本名は「東淘」であったが、宋の時代になると「安豊」に変わり、安らかに暮らし楽しく働いて、生活が豊かな意を寓する。古代の安豊は塩業の発展で栄えた。清の時代、商賈が集まり、貿易が栄え、安豊には七里長街が興った。現在の安豊古鎮はその一段である。

古い町並みには鮑氏大院があって、二百年にわたる風雨の変遷を経ても、建物の豪華さ、質朴さを隠すことはできない。曲がりくねった路地、呉家祠堂は、詩家の気骨を明らかに示している。回廊の外で演じる戯曲は、昔から今までどれだけ感動的な話をした。歩き疲れたら、ラーメン店を探して、おいしい魚出汁ラーメンを食べて人の心を慰むことができる。旧市街の奥にある「龍虎斗」草炉焼餅は安豊の最も素朴な風土と人情を象徴している。

古城しい/東晋水

北宋の時代、塩城の大縦湖の畔に小さな町、東晋城が建てられた。ここは繁栄と安住の地であったが、南宋時代に黄河が淮河を奪い、東晋城は水没し、今にいたるまで眠っている。千年後、広大な大縦湖の水の資源に頼って、歴史と文化を結び付けて、古代都市を再建して、1つの水を魂とする東晋水城(水都)が生まれた。

今の水城は南宋の建築様式に従って、商業の要素を融合して、新しい魅力を輝かせている。三街、五区、七河、九島、二十四橋は、「船は水の上に浮かび、人は島の中に住む」というのどかな絵巻を描いている。城の中まで行くと、「蘇北首祠(蘇北一の祠堂)」という誉れのある宋氏宗祠を見ることができ、豪華な建物が古風で質朴な雰囲気を演出している。建安大街に足を踏み入れて、特色のある大道芸、伝統的な美食、講談漫才、人を夢中になって帰ることを忘れさせる。引雲閣に登って、湖の水色を眺めることもできる。あるいは特色のある船料理を味わって、本場の湖鮮(湖産魚介類)を食べて、地元の風習と人情の味を感じる。

千年の古い町並み、まだらな路地、今回私達は塩城の古い町並みに入って、歴史の反響に耳を傾けて、海塩の城ならではの趣を悟る。