古人と会話しながら、歴史における景色を楽しむ

江蘇省の東北部に位置する連雲港市は「不思議でロマンチックな都」である。「連雲港」という名からそのロマンスが感じられる。中国語の表面的な意義から見れば、空に繋がっていなく、土地に繋がっていなく、海の上で雲と繫がっている。歴史はこの都市で発展変化し、昔のように重くて厳粛ではなく、逆にいささか霊気と俗世を超越したような雰囲気を添えた。

現代都市の様子はいっそう同じくなったが、都市における遺跡に近づき、その歴史を読み、世の移り変わりを経験した文物を探すことで、時空を通り越して古人と会話するようになり、その地域に属する独特な文化を掘り出す。

西遊の仙境―花果山

ある年の秋、中国古代の作家呉承恩は連雲港の花果山に来るそうで、山の綿と続く様子を見た彼は「この花果山は仙境に違いない」と感慨深げに言ったが、インスピレーションが湧いてきて、中国古代の最初のロマン主義の長編神話小説―『西遊記』を書いた。

現実では、花果山は連雲港市の郊外に位置し、『西遊記』における多くの場面はここから見付ける。一番不思議なのは頂上に置いてある巨大な石―娲遺石であり、小説では、この石は毎日月日の精華を吸い入れ、霊的世界と交流できるようになった。その石からある猿が生まれたが、即ち威風堂々としている斉天大聖―孫悟空である。石から元気な猿が生まれると誰が思いつかせるか。不思議な花果山は昔から今までの人々に豊かな想像力を与えた。

石以外には、花果山には異なる大きさの穴があり、人類に遥かな思いを掻き立てる。『西遊記』では、花果山は「七十二個の穴」があり、一個一個に隠れている妖怪があり、騒ぎを起こしている。「水簾洞」は一番人気があり、孫悟空とその子孫の故郷である。水が高所から勢いよく流れ落ち、外には水気が朦朧とし、内から鳴り響く音が聞こえてくる。そのために、人々は水簾洞に入ってよく見に行きたい。

東方天書―将軍崖岩画

海州区に位置している桃花澗の山が険しく水がきれいで、渓谷が奥深く、毎年の四月になって、モモの花の香りが当たりに満ちる時、多くの人がここに集まって散策する。桃花澗はきれいな景色があるだけでなく、豊富な歴史文化も持っている。その中で、一番一見の価値があるのは観光区の西部に位置している将軍崖岩画である。

今まで7000年の歴史を持っている将軍崖岩画は、中国では、一番古い岩画である。学者たちはこれを「東方天書」と呼ばれ、中国最初の文字と見なす。

岩画は三つの部分に分けられ、農耕文明、天文図案、色々な人面、獣面及記号を表示する。その中で、一部分の図案はわりとはっきりしていて、人面と農産物を主にし、その間は線で連ねているので、まるで人面が農産物から生まれたようである。もう一つの岩画には、三つの太陽があり、比べると、二つは大きく、一つは小さい。考古学者はこれが原始農業部落のスカイマップであり、中国上古時代の天文学の代表的な成果であると考える。海辺の地域では、朝と夕方の太陽が一番大きく輝かしくて、地元の住民たちはこの三つの丸が朝、昼ごろ、夕方の太陽を代表すると思う。考古学者の結論は科学的で客観であり、住民たちの解釈は素朴でロマンチックである。先人に出された質問に彼らは

自分なりの答えをした。誰がこの図案を残したか、なぜこの図案を残したか。

不思議な山―大伊山

花果山以外は、連雲港市にはもう一つの不思議な山―大伊山がある。12座の山頂に構成された大伊山には、神亀、神象、神蛙などの色々な象形石がいっぱいあるので、「淮北平川第一神山」と呼ばれる。当時、呉承恩は『西遊記』を書くために、風俗を採集しに何度もここに来たことがあり、大伊山の多くの風景を本に収め、小説をより神秘的にさせた。

大伊山で6500年前の新石器時代の母系社会の石棺遺跡を見つけた。出土した人物の身に付けている玉細工、陶磁器に刻んである装飾文様、記号から、当時の人々の審美観、命への畏敬の念が理解できる。

大伊山にもう一つの特色は仏教文化である。石佛寺は長い歴史を持っているが、その名は因果応報を意味し、世の中の人は善良な人にし、人々を済度するようにと忠告する。石佛寺に置かれてある伊山大仏は、今アジアの一番大きな鍛造の銅で作られた座り仏像であり、釈迦牟尼を原型とし、その物腰が落ち着き、高い所から下を見下ろし、衆生を俯瞰し、人々の心を納めさせてきた。

現代都市における古代の遺跡も同じ風景であり、世の移り変わりを経験した広々としたのもあれば、美しくてロマンチックなのもある。こられを見るたびに、時空を通り抜けて古人と会話しているようで、歴史の素晴らしさと連雲港の神秘が実感できる。