揚州の大衆演芸、生活の中にある情緒

2500年以上の歴史を持つ揚州には、濃厚で深い歴史文化の蓄積と、豊かな大衆演芸があり、その中でも揚州講談や揚州清曲、揚州弾詞は揚州の三大演芸文化となっており、中国の無形文化遺産にも登録され、中国大衆演芸の中でも核心的な存在となっている。

揚州講談・風趣

講談は中国各地の方言を使って演じられる歴史の古い演芸である。長い歴史と方言の違いにより、南京講談、揚州講談、福州講談等の流派が生まれてきた。

中国宋朝時代(960年~1277年)、揚州に講談文化が伝わり、明清時代には揚州は中国南方の大衆演芸の中心となった。 他の中国戯曲と比べ、揚州講談の小道具や化粧は簡素で、衣装も素朴な物が使われる。 そして小道具は机、扇、拍子木(寄席で聴衆の注意を引くために机を叩く木片)の3つだけで、講釈師は巧みな話術で、物語や人物の感情表現を揚州弁の抑揚やリズムを使い、生き生きと演じ、聴衆を物語の中に引き込み、作中の人物と同じように喜怒哀楽を味あわせてくれる。

揚州清曲・悠揚

揚州清曲の起源は中国元朝(1271年~1368年)に始まり、元々揚州にあった伝統音楽と組み合わされ生まれた。そして清朝康、乾年間(1622年~1799年)に揚州清曲は全盛期を迎え、その後中国全土へと広まっていった。 現在の中国では揚州清曲をよく理解している人は多くはないが、清曲を聴いたことがあるという人は多く、有名な世界の古典民謡「茉莉花」は、清曲の「鲜花調」を原型として作られている。

一般的な清曲は座唱の形で進められる、演者は二胡や琵琶などの楽器で伴奏し、また大皿や小皿、グラスなども楽器として用いられる。詠唱のテーマも豊富で、一般的には民間伝承や歴史物語が歌われ、耳慣れたものでは「三国演義」、『紅楼夢』、『白蛇伝』等が非常に人気となっている。

多くの若いアーティストも、優美な旋律で抑揚が美しい清曲に夢中になっており、揚州清曲をJAZZと組み合わせ新しい音楽を作り上げたりと、人々を驚かせている。

揚州弾詞・清雅

揚州のお年寄りは暇があれば馴染みの茶屋に行き、お茶を飲みながら茶屋で演じられる弾詞をのんびりと半日ほど楽しんだりする。

揚州弾詞は評詞と清曲のが合わさった様な形式で、話だけの揚州評詞、唄うだけの清曲と比べ、揚州弾詞は唄あり、話ありと両方を兼ね備えている。

そのため、揚州弾詞は演者に対する要求が高く、正確な発音と滑らかな調子、そして豊かな顔の表情が重視される。特に眼の演技力が大切で、観客と眼でコミュニケーションを取る為、練習の際には、柱に紙を貼って眼の表現力を鍛える。眼を上手く使うことできれば、演技は生き生きとし、人の心を打つようになる。

人に羨ましがられる、揚州のゆったりとした生活には、いつも穏やかな気分の中に曲調や情緒がある。 お茶を味わい、耳元に残る清音の余韻を楽しもう。