淮安に赴き呉承恩の故居で「西遊文化」の奥秘を紐解く

古宅のまだらに剥がれた漆喰が五百年の世の移り変わりを語る 

呉承恩故居景区は故居本体、美猴王世家芸術館、呉承恩生平陳列庁の三部分が一体となって構成されている。国内で唯一『西遊記』文化を総合展示し、呉承恩を記念する場所で、世界初の3Dテレビによる連続ドラマ『呉承恩与西遊記』のロケ現場でもある。総敷地面積15000平方キロメートル、建築面積3800平方キロメートル、63の家屋と多くの東屋楼閣、築山、池で構成された明代の風格の園林建築群から成っている。

旧宅、石臼、古井戸……ここでは明代の学者の家柄が放つ濃厚な生活感で満ちている。清雅な竹林が風に揺れ、曲がりくねった道の向こうには美しい景色が広がる、そんな典型的な江淮風格の明代庭院式民家である。

呉承恩はどのような顔立ちをしていたのだろうか? 故居の客間には彼の胸像が置かれている。この胸像は古人類研究所の著名な専門家賈蘭坡氏が呉承恩の頭蓋骨と明代の人々の服装に基づいて科学的に再現したもので、その再現性は極めて高い。

天馬空を行く想像力 不朽の名作『西遊記』創作

「闘戦勝仏」の位についた美猴王(孫悟空)は石の隙間から飛び出してきたのか、それとも作者の空想から生まれ出たのだろうか。否! じつは彼の原型は呉承恩のふるさと――淮安にあるのだ。

 相伝によると、大禹が淮河の水を治めるとき、形は猴、白頭にして青身、炎の眼に金の瞳を持った「巫支祁」(ふしき)という水怪がいた。巫支祁は驚異的な神通力を有しており、体を百尺も自在に伸縮させることができた。また、風雷を集めて使い、石木を引き寄せ轟かせ、淮河に風を起こして波を生み、治水を妨害、大禹をとても悩ませたのである。大禹は精神を集中させて巫支祁と幾度か戦い、とうとう巫支祁を捕らえることに成功した。捕らえられた巫支祁はなおも屈服しようとはしなかったので、大禹は鉄の鎖でその喉を縛り、金の鈴を鼻に通し、淮陰亀山の麓に鎮めざるをえなかった。以後、淮河は太平となった。

巫支祁の故事は呉承恩の創作『西遊記』の「源泉」となった。呉承恩が生活していた年代はまさに明王朝が下り坂へと向かう時期であり、日に日に腐敗していく時期であった。彼がどんなに学識豊かで人より才に優れても、いくども受験した科挙に合格することはなかった。失意の彼は自由奔放な想像力を書の海へと向け、『西遊記』の創作に没頭したのである。

呉承恩が「天馬空を行く」想像力を発揮した場は故居「射陽簃」書房である。彼は『山海経』の淮禍水神「巫支祁」を孫悟空のモデルに、大禹治水の神柱を悟空の手中の「金の如意棒」として、さまざまな形式で語られてきた唐僧玄奘の取経物語・西遊故事を中国の古代神話、淮安地方の伝説と結合させることで、百話からなる小説『西遊記』を創作した。そしてそれは中国神魔小説の不朽の名作となっていくのである。