古建築とともに鎮江を巡り、仏塔寺院の伝説を尋ねる

中国の「大河の立体交差点」と名高い美しい街が江蘇省中部にある。その名は鎮江。昔から今に至るまで、岸を打つ長江の水音と運河に浮かぶ船の帆がこの街とともに歴史を紡いできた。長江と運河が交差する「十字黄金水道」を擁するという特別な地の利のおかげで、鎮江は何千年もの間独特の京口文化を育んできた。開港場の繁栄と文人たちの訪問は鎮江に十分かつ活発な対外文明交流を促し、数多くの古跡と延々と流れる文化の脈動を残してきたのである。

本文:

建築とは声なき言葉であり、その地域の文化の重要な担体である。南北が交り溶け合う渡航の街鎮江の伝統的古建築は、江南建築の繊細な美しさを有し、さらには北方建築の雄壮さと重厚さも持ち合わせている。今回は古建築とともに鎮江を遊覧し、仏塔や寺院の伝奇を発見しよう。

金山寺

寺々山を覆い、寺を見て塔を見るも、山見えず

金山寺と聞いたあなたはひょっとしたら不思議な親近感を覚えるかもしれない。というのも唐代の早く、日本から次々と留学にやって来た仏僧たちはここで参禅し修行に励んだのだ。日本仏教の真言宗派を開いた空海和尚もそのなかの一人である。明代には日本の僧雪舟等揚もここで二度修行している。彼は日本に帰ったのちに『大唐揚子江心金山龍游禅寺之図』を完成させ、日本で金山寺の名を高めた。あるいは、あなたは『白蛇伝』のなかの一場面「水漫金山」を通じてここを知っているかもしれない。ではさっそくこの伝奇的な寺を尋ねてみよう。

日本の僧雪舟等揚

金山寺は山に寄り添うようにして建立されていて、裾野から山頂まで殿宇楼堂台閣がにょきにょきと立ち並んでは連なり、山全体をびっしりと包み込んでいる。そのため、金山寺を遠くから望むと見えるのは金碧に輝く寺院建築群と高く雲まで聳える慈寿塔だけで、山肌は見えない。これが古く「寺々山を覆い、寺を見て塔を見るも山見えず」と称された奇特な眺めである。境内に入ると、長く続く回廊や廂、石段が連なっている。建物の外には楼閣、建物の上には櫓、建物の内には東屋ありという緻密な構図になっていることが分かる。天王殿、大雄殿にゆっくりと足を踏み入れると、その荘厳さ厳粛さには比類なき震撼を覚える。境内には海開山、水漫金山、東坡賞月、陸羽品茗など、吟味するに値する故事伝説も伝わっている。慈寿塔に登り欄干にもたれて目を馳せると、東へと流れる雄大な長江が一望でき、鎮江三山である北山、焦山、北固山の美しい風景を思う存分に眺めることができる。

昭関石塔

江南に唯一現存するラマ塔式過街塔

西津古渡は鎮江千年の歴史ある古渡し場である。著名な詩人李白、王安石、陸游、旅行家マルコ・ポーロなどが、かつてここで船を待ち、岸に上がった。西津古街はこの古い渡し場によって栄えた通りで、全長約千メートル、その随所に歴史の痕跡を見ることができる。老街の中心には昭関石塔という名の特別な石塔が聳え立っていて、今ではすっかり鎮江の文化的記号になっている。西津古渡に遊びに来たなら、この石塔で記念撮影をしないわけにはいかない。

 

「昭関」の二文字の淵源は、古代この土地が長江に臨む険要の地であり防衛上の関所であったことに由来している。伝えられているところによると、三国時代、劉備と孫権が婚姻により親戚関係となったときに建てられたと言われている。石塔は瓶のような形をしているため、平安の寓意を込めて「瓶(へい)塔」とも呼ばれている。昭関石塔を抜けるとすぐそこが西津古渡である。ここは長いこと船舶の往来があり、多くの旅客が河を渡った。昭関石塔の下から渡ると穏やかな波風とともに天険長江を渡ることができたという。

石塔の修復途中では意外なことが分かった。塔の内部に元代の曼荼羅が2つ隠されていたのである。これは中国では実に珍しいことで、昭関石塔にさらなる神秘の色彩を加えることになったのだ。

北固山衛公塔

中国国内にわずか六座残る鉄塔の一つ

北固山,你可有耳闻?唐朝时,日本遣唐使阿倍仲麻吕就曾泊舟镇江,登北固山思乡怀远,留下了有名的和歌:天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも”,后在日本广为流传。如今,北固山上还立有一座阿倍仲麻吕诗碑。

北固山の名を聞いたことがあるだろうか。唐の時代、遣唐使阿倍仲麻呂の乗った船が鎮江に停泊したとき、北固山に登った彼は遠い祖国を思いながら和歌を残した。「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に出でし月かも」。この有名な和歌は後に日本中に広がった。そして今では北固山には阿倍仲麻呂の詩碑が建っている。

その詩碑から遠くないところ、北固山の後峰南東方向に4層構造の鉄塔があるのに気づくだろう。塔の名は衛公塔。唐の時代、定歴元年に建設が開始されたこの塔は、下二層には宋代の古跡が、上二層には明代の古跡が残されている。やや破損している個所もあるが、基礎と塔身にははっきりと視認できる精美で活き活きとした図柄が施されており、中国古代の労働者たちの卓越した技芸を伝えている。度重なる風雨を経てきたこの塔は、現在では中国に6つしか残ってない鉄塔の一つとなっている。

鎮江古建築の姿が持つ驚くべき伝奇的な色彩のほかにも、この「天下一の山河」と称される街には尋ねるべき数多くの名勝や秘境がある。美しさと豪胆さが集まり一体となった深く隠れる江南の歴史あるこの街を好奇心とともに深く感じてみてはどうだろうか。