江蘇一広い街はどれほど仙気に満ちているのか?

黄海沿岸に控えめながらも江蘇一大きな街がある。もっとも美しい時期を今まさに迎えようとしているその街には、仙気飄飄としたシフゾウ、霧立ち込める干潟、そして見渡す限り限りない花海がある。その街の名は塩城、江蘇省最大面積を誇る地級市である。

01 陸と海が交わり作り出す仙境塩城
陸地と海洋が交わる土地に位置する塩城の地形は平坦である。かつて潮汐の変動を経た沿海部の大地では、土砂堆積などの原因で周期的に海水が埋められ、広大な干潟や湿地が形成された。

塩城の浜辺に形成された潮汐樹は本物の樹木と類似度99%だ
歴史的な変化が反復するなかで、塩城の4分の1の土地は豊富な干潟湿地へと変わり、生命が生息する場となった。干潟では希少なカオジロダルマエナガなど60種あまりの野鳥類が定住しており、地球最大のタンチョウヅルの越冬地にもなっている。江蘇省ないしは長江デルタ地域唯一の世界自然遺産「中国黄(渤)海渡り鳥生息地」もまさにここ塩城にある。

落日の余光に照らされるタンチョウヅル
塩城の数多くの野生動物のなかでも最も異彩を放つのはシフゾウにほかならない。気候変動と人類の活動が原因で、シフゾウは2000年前に絶滅寸前に陥った。元末、残されたシフゾウは朝廷によって長江中下流域の湿地で捉えられて皇室の猎苑に送られ、飼育され、その後北京にわずか分布するばかりとなった。義和団にまつわる「庚子国難」で8か国連合軍が北京を略奪した際にはシフゾウも西洋に持ち去られ、ベルリン、パリ、アントワープなどの動物園で展示された。このときからシフゾウの「地球一周」の歴程が幕を開けた。
前世紀80年代になると60頭余りのシフゾウが続々と帰国し、彼らにもっとも適した休養生息地である塩城湿地に放たれた。野生のシフゾウがとうとう再び黄海・渤海の畔に姿を現したのである。現在、世界で最大面積かつ個体群数量最多のシフゾウ自然保護区はここ塩城にある。


保護区のなかで游ぐシフゾウ
02海塩で生まれた街、塩城
塩城の独特さは海からきている。中国唯一の「塩」を名乗る地級市、それが塩城だ。食塩に関する行政事務、河川工事、食料の北方輸送、これらはかつて江蘇の経済発展の核心的支柱であった。塩業と交通があるところにはおのずから塩商が生まれる。塩城一帯の海塩と大運河による南北輸送の利便性を拠り所に、淮河両岸の塩業塩商を掌握することは古くから必然と国家に匹敵する巨富をもたらした。


色とりどりの塩城の塩田
東漢末の孫堅は歴史に記載されている初の塩凟県丞(副県長)である。孫堅はこの地で塩業により兵馬兵糧、そして金銭を蓄え、のちに孫権の天下三分のために使われる豊かな財産を築き上げた。宋代になると、中国経済の中心は南に移動し、塩城の優勢はさらに鮮明になった。北宋の3人の宰相――范仲淹、晏殊、呂夷簡はいずれも塩城に塩官として赴任しており、「西渓三傑」として千古の佳話が伝わっている。

元の末には張士誠を頭とする塩民(塩業従事者)が蜂起した。塩城を震源地とするこの蜂起の勢いは凄まじく、以後14年間もの長きにわたって続き、元朝の統治を徹底的に揺さぶり、瓦解へと導いた。張士誠の幕僚である施耐庵は張が戦に敗れたあと、羅貫中と共に故郷興化県白駒場(現在の塩城市大豊県白駒鎮)に戻って隠居し、『水滸伝』『三国演義』を執筆した。水泊梁山は山東にあるものの、水滸伝のなかでは水網密集する塩城から多くのヒントを得ながら想像を膨らませた。これら二部の大作における戦争と英雄の造形モデルも、この古今を越える偉業である塩民たちの蜂起から来ている。

今日、塩業は依然として塩城の経済発展にとって重要な支柱である。中国四大製塩場である蘇北塩場はここ塩城に位置している。

塩城市灌東製塩場
03 海の香りなら塩城人が知っている
「海に頼って食べる」、塩城ではそれは空論ではない。塩城の人々の食卓には、海鮮と東へと流れ海に注ぐ河川湖沼で採れる河の恵みが、ほとんど毎日登るのだ。


日差し降り注ぐ黄砂湾のヒナギヌガイは巻貝のなかの上物だ。大粒かつ肉厚で「黄海干潟の黄金」と称されており、炒めるだけで人を酔わせる味わいである。様々な食べ方のなかでも伍佑酔螺が最も有名だ。砂抜き、鮮度保持などの処理をしたあと、伍佑の人々は強い高濃度酒と赤砂糖を使って漬け込む。一口含むと、芳醇な酒の香りと海の塩辛さが味蕾で交わり、酒の肴としてはこの世の絶品と言ってもいいほどだ。


塩城には上海蟹もある。塩城市百万人の飲用水水源――大縦湖は水質がよく、そこで生産される上海蟹は陽澄湖のものに負けない品質である。禁漁期前夜になるとまもなくスズキ、海エビなどが塩城の海鮮市場に大量に出回る。ヤマノカミ、蒸しエビ餃子、エビの子焼売などの海鮮と河鮮によって、この街は「海の香り」に満たされていくのだ。


塩城では早茶文化が特に濃厚だ。塩城早茶と言えば東台魚湯麺を挙げないわけにはいかない。豪華海鮮の百花繚乱には及ばないものの、小さな丼に注がれた乳白色の魚のスープのなかには塩城の千里海岸の「鮮」がしっかりと凝縮されている。