宜興に行って山野清涼の旅に出よう

宜興は太湖の畔に位置する。江蘇、浙江、安徽の三省の境界であるここは著名な魚米の郷で、山水が寄り添うその景色は美しい。果てしない竹林の緑海が天然の断熱壁として働き、神秘的な鍾乳洞には幻想的な石の眺めと身に沁みる爽快感が隠れている。さらに香り高く芳醇な陽羨茶を味わえば、自然と心落ち着いて涼しくなる。さあ、この夏の日のいちばんの避暑の秘訣が、小さな町宜興であなたを待っている。

竹の海から吹く清風を浴びる――宜興竹海

宜興竹海は江蘇、浙江、安徽の境界にある。ここに広がるのは竹の大海原であり、深い酸素の世界に渓流、山林、竹海が分布している。竹海に入ると、きらきら光る「鏡湖」がたちまち目に飛び込む。青々とした山や緑鮮やかな竹があたかも明鏡のように澄み切った湖面に投影し、濃淡さまざまな緑を映し出している。竹林のなかの小道を逍遥すると、清々しい風がそっと吹き、緑が日を遮ってくれる。空気には竹の葉の甘い香りと土の清々しい匂いが立ち込めていて、呼吸をするたびにたっぷりとしたマイナスイオンの爽やかさが感じられる。竹林のなかの茶楼や東屋、楼閣に座ると、聞こえてくるのはすべて自然の音だ。小休止すると悩みなんて風とともにどこかに去ってしまうことだろう。

太湖の源は宜興竹海の中腹、清らかな泉にある。この泉からは一年を通じてさらさらと水が流れ出し、枯れることがない。素足で山の石を踏みしめ、手を伸ばしてポコポコ流れ出る水を受けると、大自然の静けさと心地よさが心の扉をすり抜けて伝わってくる。一路上へと登ると、宜興竹海の最高地点である凌雲閣にたどり着く。遠くを望むと、山中に立ち込める靄の起伏、浮かび上がる青竹の影、広々とした緑の波を湛えた竹の大海原が限りなく一望でき、まるで緑野に身を置き仙人を追うかのようで、心も自ずから晴れ晴れとする。

天然の仙洞を探る――善巻洞、張公洞、霊谷洞

宜興の避暑の宝地には竹海のほかにも、涼しく楽しい地質奇観――鍾乳洞がある。宜興の鍾乳洞の旅は現在、国内外の多くの観光客にとって避暑旅行の第一選択肢になっている。

善巻洞は宜興鍾乳洞「三奇」の筆頭だ。鍾乳洞全体は上中下後の4つの洞窟から構成されていて、どレもユニークで互いに繋がっている。洞窟内には奇石が林立し、冬は暖かく夏は涼しい。洞窟の外には梁祝遺跡、国山碑、観蝶園があり、一歩ごとに違った風景が楽しめ、かねてより「万古霊跡」との呼び名がある。小舟に乗って鍾乳洞のなかに入ると、独特な形をした石が高く険しく聳え、鍾乳石の形もそれぞれ様々である。くねくねと曲がり流れる水の音を聞きながら水に倒影するイルミネーションを見ると、ファンタジーな漂流の旅の始まりだ。

張公洞の特徴は「洞中有洞」だ。伝説によると、漢の道教の師張道陵は若い頃、かつてここで伝道の修練をしたという。また、唐の張果老もここで隠居生活を送った。そこから「張公洞」という名がついた。洞窟内の景観は豊富かつ独特で、鍾乳石、カーテン、洞窟サンゴなど、逸品ぞろいで、色とりどりにライトアップされて輝く様子は雄壮かつ天が生んだ奇観と言える。洞窟内で美しい眺めを鑑賞したり地底川探検をしたりする以外にも、外では1500メートルもある川下りを楽しみながら水しぶきを身体で浴びる爽快さと激流を漂う心地よさを思う存分感じることが可能だ。

霊谷洞の売りは「洞中有山、絢麗多姿」で、「霊谷天府」という美しい呼び名を持つ。ここは原始の風貌がより保たれていて、人間による開発の痕跡が比較的少ない。ここを巡ると、深く静かな洞窟をくぐり抜けながら千姿万態の石景を鑑賞したり、あるいは船に乗って地下川との神秘的な出会いを果たしたりすることができる。この仙境の奇観は浮世の不思議な宮殿にそっと身を隠しているような気持ちにさせてくれる。それほど華やかで美しく、神秘的な景観だ。

清茶を一杯味わう――陽羨茶

宜興の山水風景を巡り、もし歩き疲れたなら、音楽でも聴きながら陽羨茶を一杯どうだろう。陽羨茶は宜興の特産だ。独特の自然条件が形成した「青山を雨が洗い、季節は常春だ」という茶に適した環境により、緑鮮やか、芳醇な味わい、薄くて上品な香り、味わい尽きない甘さ、染み入る味わいという優れた品質を有する陽羨茶が生まれた。

冷たく透き通った茶の清く爽やかな香りが喉にするりと流れ込むとき、当代の茶聖陸羽すら嘆息を禁じえず、世界に冠するその香りは上方に薦めるには十分なものだった。こうして湖父の地が生んだ羨茶は「茶聖」陸羽によって皇帝に献上する「貢茶」の列に入り、「陽羨貢茶」という名称を得た。宜興にはほかにも風光明媚な雲湖景区内に陽羨茶文化博物館があり、茶文化の歴史と茶芸の実演を展示している。また、自分で茶摘みをしたり茶を淹れたりして体験しながら楽しむことも可能だ。

夏の日、旅の途中で茶屋を探して一息つく。ゆったりとした茶でスローで静かな時間を楽しむと、たとえ烈日炎炎たる夏の日でも心くつろぐのだ。