山居秋暝、鎮江の幽玄の地に入る

この草木が生い茂ってのんびりとした日に、思い立ったが吉日旅行をして、生活における悩みや一時凌ぎをぶちまけており、田園と緑陰の中で、あなたが探している理想的な生活に出会う。窓を開けると青山が見え、緑に囲まれ、谷川の水が流れ、鎮江に隠れる宝華山はいつもあなたの素晴らしいイメージを満たす。

古刹仙境

宝華山は長江のほとりに位置し、30平方キロメートル近くの森林地帯を主とし、東南アジアでも譽れ高き千年の古刹、隆昌寺を擁し、百種類以上の希少生物を有しており、「山林の美、山嶺の秀、幽谷の深、煙霞の妙」という四大絶景で称賛されている。ここは空気中のマイナスイオンの含有量が極めて高く、正真正銘の天然酸素バーであるため、宝華山では年に1度の泡山祭がかねてから盛名をうたわれている。「山に入り浸る」観光客は、鬱蒼とした山林の中で、新鮮な空気を呼吸し、様々なイベントに参加し、めったにないゆったりとした時間を楽しむ。

西暦502年に創建された隆昌寺は、999間半と呼ばれるほど雄大であり、隆昌寺の戒壇、千人鍋は中国で最も有名で、明の時代に勅を奉じて建造された銅殿と二つの無梁殿(内部に梁などを用いない建築構造)も非常に壮観である。隆昌寺は1500年余りの間、最盛期の僧侶は3000人以上に達した。遠く日本などの多くの国の僧尼も途中の苦難を恐れず、遠路はるばる礼仏に来て戒を受けるため、「国際仏教学院」と呼ばれている。しかし、隆昌寺の僧尼はこのような儚い名声を気にせず、静かに修行することをもっと重視しているようである。

幽玄の地

清朝の乾隆帝は隆昌寺に5回到着し、その都度楊柳泉村に宿泊したと伝えられている。千華古村は楊柳泉村に基づいて建てられたもので、歴史的背景によって明清時代の一般庶民の生活の全貌を再現した。それ以外にも、千華古村は文化を受け継ぐ責任を負っている。朝から晩まで、時間帯によって様々な民俗ショーがあり、古いレンガと石がそれに合わせ、思わず本物か偽物かの体験に夢中になる。

ここには車馬が頻繁に往来することなく、あるのはただ古風で素朴、また静かな雰囲気であり、町の両側の生地屋、提灯屋、豆腐屋、鏢局(清代の運送・警備業者)、酒場、旅館、賭場、銭荘などは濃厚な生活雰囲気を作り、その場に身を置き、まるで時空を超えたようである。

この速いリズムの都市の中で、山林の間にスローライフを隠している古村を訪れ、のんびりとした雰囲気と情調が作り出した理想郷を体験し、奢侈、退廃の生活に見失わず、ただゆったりとして快適な生活のために止まるのも、一つの好事である。

樹梢仏閣

「梢の上の仏閣」は宝華鎮の古い町並みの南東に位置し、仏閣の中には東南アジアの四面仏が一つ安置されている。一木一草を傷つけないという原則に基づき、山が高くなるにつれて、山道と仏閣の建築を空中にかけわたし、木製桟道で建築を結びつけ、古色蒼然として汚染されていない。古村の臨水バーに立って仏閣を見ると、まるで梢の上にあるように見えることから、「梢の上の仏閣」と名付けられた。

如風

千華古村から仏閣に向かうと、木製桟道を通る。木製桟道の両側は「如風」シリーズのインであり、山に合わせて木の部屋が少しずつ高くなり、観光地と渾然一体となっている。外から見ると中国の民家の伝統的な様式を残しており、前庭と裏庭があり、どの門にも禅のある名前がついている。全部で16の部屋があり、どれもユニークで、それぞれ長所がある。部屋の壁はすべて掃き出し窓で、四面とも壁がないように見えており、ここに住んでいると、まるで空中庭園に住んでいるかのように、原始的な雰囲気が漂っていた。

夕日がだんだん落ち、宝華山の明かりがだんだん消え、山林は隠れるようになる。千年の歴史を持つ古い町並みは、自分だけの夜を迎えており、遠くには明かりが点々と見え、岸辺に逆さまに映っている影が光っていて、古めかしくて夜に煌めいている。この秋は宝華山の中にいて、違った気持ちを考え、一目見ただけで好きになり、一回来たら肝に銘じる。