秋探し・月の城における千年の風雅

揚州は2500年以上の歴史がある。この運河から生まれた都市で秋の跡を探してみよう。すべては「水」から始まり、水のおかげで、美景と珍味が生み出され、遥かなる古い文化とともに輝いている。

天上月と水中月

昔から、揚州は「月の城」と称賛され、唐王朝と宋王朝以来、月に関する詩歌は数え切れないほど多い。人々は「二分月」で揚州を指す。月光を浴びる世間は、非常に文化の味わいがある。

秋の一番重要な祝日は中秋節。一家団欒を象徴する中秋節には、月は都市の「主役」になる。痩西湖の東側は広い水面があり、昔から月を観賞する最高の場所だと言われる。小金山は痩西湖に位置する小さいな島だが、過去、古人はよくその上にある「月観」から月を眺める。「月を観賞する」意味から「月観」と名付けた。西から東まで、「月が東山から昇る」という意味が含まれている。痩西湖の五亭橋も月に関する一番美しい物語がある。橋の下に空洞は15個あるので、月の十五日目になると、一個ずつに丸い月の影が逆さに映っている。

中秋節に月を眺めること以外、月というイメージは揚州の隅々まで存在している。「二分月楼」「望月路」「得月橋」など「月」という字で名付けた建物は数え切れなく、この中で人々を驚嘆させる何園の「水中月」という景観もあります。園内の片石山房の向こうにある築山の池から、いつでも月が見えるように、建築家は光学原理を利用しました。「月」の満ち欠けも観衆の足並みとともに変わっています。時には鏡のようで、時には曲がった刃物のようです。

高郵湖の蟹

人々の目は秋の月に保養されたと言えば、食欲は蟹で満足させるしかない。秋に入ると、揚州の高郵湖から出た蟹は人々のテーブルを占領する。

高郵湖は江蘇省の三番目の湖であり、水産物も豊富であり、その中で、一番有名なのは蟹に違いない。中国の宋王朝から高郵蟹はすでに皇室の貢物になった。北宋の大詩人蘇軾は高郵蟹を高く評価し、詩歌で蟹を交換したことがあり、文人たちもよくお酒を飲みながら、蟹を食べる。

揚州人は蟹の調理しかたに拘りがあり、蟹の美味しさを保持するなら、「蒸煮」が一番いいだと言われる。流れる蟹みそを吸い込んでから、香りが口の中でだんだん広がる。蒸しかに以外には、面拖蟹もよく見かける料理である。蟹を揚げた後、餅と一緒に炒め、殻からゆっくりと流れた黄色いソースは白い餅に十分に吸収されたため、食感がより充実にしている。もし蟹の旬を過ぎれば、蟹みそ入りのパオズを期待してもいい。ほんやりと透き通ったつらの皮から汁が流れてるのが見える。「窓を開けてから、スープを飲む」というのは優雅な食べ方を保つコツである。軽く噛み、舌の先で温度を打診し、お酢をつけ、その中のスープを飲みながら食べるのは特別な趣がある。

詩歌と音楽のメロディー

美しい月は人々の目を保養させ、美味しい蟹は食欲を満足させる。『春江花月夜・唯美揚州』には心を打たれるものがある。中国詩歌の代表作の一つとして、揚州で創作された『春江花月夜』は、月を主体とし、江を情景とし、静かで美しい春江花月夜という場面を描いた。

今、現代芸術家によって、詩歌と揚州の千年歴史を融合させ、中国初の江南園林図を作り出した。煬帝は大運河を開削する場面から「煙花三月下揚州」に表現された境地まで、杜十娘のはかない恋から史可法の英雄伝説まで、ジャスミンの歌声から花火の祝福まで、2500年以上にわたる揚州の繁栄時代を再現した。公演は人の心を打ち感動させる。

今では、月、蟹、詩歌というような秋の見慣れた物事は風雅を引き続け、秋に関する色々な描写は揚州という都市に集められた。