水たゆたう溱湖をゆっくり巡り、美しい春光をゆったり味わおう

はしがき

江蘇省中部、長江と淮河の間に位置する溱湖。その本来の霊気は水によって高められ、この湖の魂となっている。そんな溱湖湿地の全景はひとひらの小舟で味わうことができる。ここでは古今折り重なってきた輝かしい人文が泰州に沈殿する熱く深い幸福の源となっている、とくに一年に一度の溱潼会船節は長い歴史を持ち、その価値は時間の流れとともに増し、現在でも変わらず人々の生活のなかで活力を奮い起こしている。今回は泰州を訪れ、独特の水郷の風情を味わい、スローライフならではの魅力を満喫しよう。

前書き

 春うららかな3月、泰州市溱湖は春光のなかですでに少しずつ目を覚ましつつある。翠緑の湖面に波が立ち、草木は生気にあふれている。素朴な石畳の古道は心落ち着く静けさがあり、まるで賑わう街の一片の浄土のように人を虜にする泰州の世間の匂いを織り成している。さあ、ともに泰州へと出発し、春の深みへ分け入り、水の街の風光明媚な春の喜びを感じよう。

溱湖国家湿地公園

 広々として果てがない溱湖湿地の起源は8000年前の海進だ。やがて引いていった潮が泰州に豊かな贈り物を残していったのだ。溱湖湿地はガマが生い茂り、浅い川が縦横無尽にいく筋も流れている。数多くの希少な動物にとっては理想の住処だと言えるかもしれない。春、天然の酸素バーである溱湖の緑林をゆったりと歩くと、草木が新たに芽吹き、あたりは緑に満ちている。陽光、微風、花の香りが溶け合って一体となり、体中のすべての細胞が大自然の新鮮な息吹を感知する。長く伸びる木の桟道をゆっくりと行くと、アシの茂みのなかで歌う水鳥の声が聞こえ、悠然と水を飲んで去っていくシフゾウの姿が見える。ここでは万物に春の生命力がみなぎっているのだ。

溱湖の全貌を知るなら、後ろについた櫓を漕いで進む揺櫓船(ヤオルゥチュアン)に乗るのが最適だ。一艘の小舟に乗って広大な湖水を漂うと、ぼうぼうと茂る水草、カエルや虫の声、鏡のように穏やかなエメラルドグリーンの水面に波紋が幾重にも広がり、カモも思わず旅のお供を務めてくれる。水路の両側には溱洧関、儲巏広場、鵲仙島、潼里新街などの代表的な観光地があり、水郷の漁家の女が歌う独特のメロディを聞きながら美しい湿地の風景を目に収めると、まるで『オズの魔法使い』の世界に入り込んだようだ。

溱湖国家湿地公園ではほかにもタンチョウヅル、コクチョウ、ヨウスコウワニなどの国の保護動物、沈水性、浮水性、浮葉性、湿地抽水植物などさまざまな種類の水生植物を見ることもできる。これら天然の緑が編み出した住処は野趣限りなく、訪れる者は思わずその癒しの生態物語に浸ってしまうのだ。

溱潼古鎮

 限りない風景が広がる溱湖に隣接し、四面を水に囲まれたこの千年の古鎮は、物産に恵まれた水郷の真珠だ。6万平方メートルに渡って広がる青レンガ・灰瓦の明清古建築に暖かな春風が吹くと、古鎮は素朴で優しい息吹で満たされていく。ここの住人たちは緻密さに長けている。奥深く続く横丁やひっそりとした住居、麻石(花崗岩の一種)の石畳が敷かれた街道、古井戸のある庭先、曲がりくねった路地は狭く人しか通れない。そして軒を連ね連なっている家々。そんななかをそぞろ歩くと、はるか遠い歴史の時空を行くかのように感じられる。

麻石街は溱潼古鎮のランドマークだ。何代もの人々の記憶を受け継ぐここには店がずらりと軒を構え、よりすぐりの特産品が並び、往来する人々で賑わい、溱潼の風土人情で満ちている。麻石街に沿って古屋敷別邸を訪ねてみよう。「院士旧居」に入ると、そこでは時間が沈殿している。人目を引く家訓からは家や国を思う心が伝わってきて、厳粛さと尊敬の念が湧いてくる。

 春の溱潼古鎮で最も印象深いのは千年近い樹齢の宋代の山茶(ツバキ)の古木だ。山茶院では十数メートルあまりのツバキの木が古井戸を覆っていて、花を豊満に咲かせる姿は荘厳であり上品である。毎年3月4月の最盛期になると何万という花が雲が空を覆うように怒涛のように咲き乱れ、その艶やかな姿は見る者を感動させ、その香りは春を通してずっとあたりを満たし続けるのだ。

溱潼会船節

溱潼について語る人はきっとこの特別なお祭りを口にするだろう。その名は溱潼会船節。南宋の時代から今に伝わるこの民俗行事は千年近い歴史を持ち、「世界最大の水上縁日」とさえ称されている。毎年清明の時節になると溱湖の湖面は非凡なまでに賑わいを見せる。数百もの多種多様な会船(祭りに使われる船の総称)と万近い漕ぎ手が青波たゆたう溱湖湖面に集まり、一斉に先を競って船を漕ぎ、ただひたすらに前へと進むのだ。その様子はただただ圧巻である。

溱潼会船節の歴史的起源については様々な説がある。史料の記載によると、南宋時代に名将岳飛と義民張荣、賈虎曾が溱湖にて金の軍団を何度も大敗させたという。この激戦で亡くなった南宋の将兵たちを供養するために、現地の庶民たちは清明の時期に船を出して追悼活動を行った。それが長く続き、会船という風俗習慣が形成されたという。800年あまりの会船文化は多くの人々の心を牽引し、この風俗は代々受け継がれてきた。現在ではその意義は会船そのものをすでに越え、貴重な歴史文化財産、民間文化を見ることができる最高の舞台になっている。溱潼会船節は溱潼の人々の独特の人文風景を伝えているのだ。